「約束の地に向かって」 03−09−14
ヨハネ6:16〜21
わたしたちが目指す地に着けるようにと、主イエスは、歩みより、共にいようとして
くださいます。
その日、弟子たちは自分たちだけで湖の向こう岸を目指して出発しました。
夕暮れ時でありましたが、向こう岸まではそんなに距離もありません。弟子の中には
漁師出身の者もいましたから、船には自信があったのでしょう。ところが、出発すると
波風が強くなり、湖が荒れて、向こう岸につけないでいました。そんな弟子たちの所に
主イエスは歩み寄ってこられました。それは湖の上を歩くという、不思議な、驚くような
仕方ででした。その主が来られると、すぐに、目指す地に着いたのです。
信仰者の歩みはこの時の弟子たちと似ています。私たちも、強い風や荒れた湖の
ような出来事に直面して、進めなくなることがあります。また、普段の生活の中では、
主イエスを抜きにして進もうとしてしまう姿とも、無縁ではいられません。弟子の姿よりも、
主イエスの関わってくださる姿が似ています。主イエスは、ご自分と弟子との間にあった
湖や波を超えて、歩み寄ってくださるお方でした。主イエス抜きで事を進めて、進めなく
なっている私たちを、遠くで眺めながら、知らん顔をされるのでなく歩み寄ってください
ます。主イエスが、歩み寄ることのできない場所はないのです。
主イエスがいらっしゃらないと、どうしても着くことの出来ない、目指す地が
あります。それは、永遠の命に生きる神の国です。
人は、罪ゆえに、湖を越えて向こう岸に着くことが出来ません。湖に飲み込まれ、
滅びるしかない者でした。
しかし、十字架にかかり、復活された主がいらっしゃることで、私たちは罪赦されて、
約束された神の国に着けるのです。
その御国につけるように主イエスは歩み寄ってくださったのです。
本日は、敬老の日の礼拝です。年を重ねることで味わう波や風があるかもしれません。
しかし、「わたしだ。恐れることはない」とおっしゃる主を知り、主と共に、約束の
地に進むのですから幸いです。